べっぴんさん キャスト 田中紀夫

2016年後期の朝ドラ「べっぴんさん」。

主人公の坂東すみれには、幼馴染の田中紀夫という男性がいます。

後に彼は坂東すみれの夫となり坂東家の婿養子となります。

今回は田中紀夫の人物像、田中紀夫のモデルとなった坂野通夫さん、キャストの永山絢斗さんについてのネタバレをしていこうと思います。

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主人公の幼馴染で夫の田中紀夫とは

朝ドラ「べっぴんさん」の主人公・坂東すみれの幼馴染として登場する男性・田中紀夫。

彼がどんな人物なのかネタバレ的に紹介していきます。

貴族院議員の父親をもつ紀夫もまた、坂東すみれ同様に何不自由のない裕福な家庭で生まれました。

坂東すみれの幼馴染である紀夫は、すみれと結婚して坂東家の婿養子になります。

婿養子となり、義理の父親である坂東五十八が創設した坂東営業部に入社。

性格はおとなしめで、無口でまわりの人間には理解されにくい人物です。

しかし、表には出さなくても坂東すみれと家族のことをとても大事に想っている愛情あふれる男性であります。

紀夫は死んだのか?

紀夫は子供が生まれる前に出征し、その後何度か戦地から手紙が届きますが、終戦後も中々帰ってきません。

帰ってこないどころか生死すら不明の状態です。

ゆり、良子、君枝の夫は次々と帰って来たのに、紀夫からは連絡の一つもなく、すみれは不安で寂しい日々を送ります。

唯一、紀夫の情報がわかるのが第6週。

紀夫と同じ戦場にいた中山いう青年がすみれの元を訪れ、紀夫から借りていた裁縫セットを返してくれたことです。

中山は戦地で紀夫と少し一緒になっただけで、その後の行方はわからないと言います。

まるで裁縫セットが紀夫の形見のように思えてしまいますよね。

さらに紀夫の両親が、「もう紀夫のことは忘れてくれ」と促し、すみれをさらに悩ませます。

そんな寂しさMAXの時に、岩佐栄輔がすみれの家にお泊りし、かなり良い感じに。

あわやこのまま栄輔ルートか?と思われた矢先、「桜の咲く頃、帰ります」と書いた紀夫からの手紙が届きます。

紀夫は死んでません、ちゃんと生きてました。

戦地で捕らえられ捕虜となり収容されていたので帰れなかっただけでした。

 

この手紙が届くのが7週目の後半で、紀夫が出征するのが2週後半なので、かなりの間紀夫は姿を消します。

でもちゃんと生きて帰ってきますので、紀夫ファンの方は安心して下さいね!

田中紀夫のモデル・坂野通夫

田中紀夫にはのモデルとなった実在の人物がいて、坂野通夫さんという方です。

坂野通夫さんは、1916年(大正5年)9月30日生まれの兵庫県出身。

銀行家である父・坂野兼通さんの御子息として生まれました。

べっぴんさんの中では幼なじみとして登場しますが、実際には違っていて、甲南高校に通われていた時期に甲南女学校に通っていた坂野惇子さんと出会い、二人は交際を開始します。

京都帝国大学を卒業後、大阪商船に就職し惇子さんと結婚しました。

神戸の外国人村で結婚生活を送り、そこで惇子さんは長女を出産します。

しかし、戦争により坂野通夫さんは出征してしまいます。

終戦後、日本へ帰国した坂野通夫さんは勤めていた大阪商船を辞め、惇子さんの父・佐々木八十八さんが創設した佐々木営業部で働くことになります。

そのころ惇子さんはすでに、友人たちとオープンしたベビーショップ・モトヤを経営していたのですが、夫の坂野通夫さんも彼女の事業を献身的に手伝ってくれる理解ある男性でした。

坂野惇子さんは、お嬢様育ちのため世間知らずな面があったために原価以上の値段で商品を売ることをためらってしまったのです。

商売の経験がないのもあり、売った商品で入ってきた代金が全て利益になっているものと勘違いしていたようで、情熱はあるものの商売についてはかなり無知だったようですね。

そんな彼女に帳簿のつけ方を教え会社を経営するのに必要な知識を授けたり、助言をしたのが夫の坂野通夫さんでした。

会社経営の知識のある頼もしい夫がいたおかげで会社の運営をやってこられたといった感じでしょうか。

彼がいなかったら「株式会社ファミリア」はなかったかもしれません。

株式会社ファミリアを創設後も、会社の不祥事や混乱が起こったことから坂野通夫さんもファミリアの一員となり坂野惇子さんをサポートするのでした。

経営面から大きな支えとなった坂野通夫さんは、後に株式会社ファミリアの社長に就任します。

輸入した製品を販売することができたのも彼の業績があったからこそであり、輸入により質の良い離乳食を販売することが可能になりました。

海外のキャラクター・スヌーピーのぬいぐるみを製造する権利を得て発売もしています。

1985年(昭和60年)には会社創設35周年という年に、社長の座を娘婿の岡崎晴彦さんに譲り、自らは代表取締役会長へ。

1992年(平成4年)6月2日に77歳でこの世を去られました。

株式会社ファミリアでの坂野通夫さんの功績は大きく、皇室御用達のブランドへと成長できたのは彼の支えがあったからこそですね。

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田中紀夫のキャスト永山絢斗

田中紀夫役に選ばれたキャストの永山絢斗さんについて紹介します。

永山絢斗(ながやま けんと)さんは、1989年3月7日生まれの東京都出身。

お兄さんには俳優の瑛太さんがいます。

所属事務所はパパドゥ。

2007年に「おじいさん先生」というドラマで俳優デビューを果たしました。

2010年には映画初主演作品となる「ソフトボーイ」が公開され、この演技力を評価され日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞されています。

とても行動力のある男性で、「海辺のカフカ」という本に影響されて、鉄道で北海道まで二週間の期間をかけて旅をしたという過去があります。

一人旅で野宿までしたというのには驚きですね。

お兄さんの瑛太さんとは仲が良いようで、六つ年下の弟である永山絢斗さんのことをすごく可愛がっているようです。

瑛太さんは永山絢斗さんとの共演を望んでいるなど兄弟仲はとても良好のようですね。

無許可で永山絢斗さんを撮影した写真をツイッターに載せてしまい、本人から削除してほしいと言われてしまうという弟を愛しすぎてやり過ぎてしまったエピソードもあったようです。

個人的な印象としては、まだ瑛太さんの方が知名度は高いでしょうか。

しかしべっぴんさん出演で大逆転をはかれるかも知れませんね。

以上、田中紀夫のキャスト・モデル・ネタバレでした!!

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